4/7 毎日新聞の社説より
都教委は生徒が集団で起立しなかったり、歌わない場合は担任教師を処分する方針も打ち出したがこれは明らかに行き過ぎだ。
教師については政府は、国旗・国歌法制定時から「国旗・国歌の教育指導は教職員の責務であり、従わない場合は、地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができる」としてきた。公務員にも内心の自由はあるが、政府見解の通りだとしても、起立しないことをもって処分し、事を荒立てるのは、決して好ましいことではない。
「本末転倒」とは、本筋の根っこと枝葉を、取り違えて、どうでもいい枝葉のほうにいってしまうこと。
処分するというのは問題の本質ではなく、本来、起立しようがしなかろうが、歌おうが歌わなかろうがどうでもいいことで、この処分はやりすぎである。と言いたいのであろうか。
この問題の本質は、規則を守らないことではないのか?
<- 自分はそう思うが、社説はそうではない「やりすぎ」といっている。
思想、信条は問題に入れるべきかどうか?
<-- この社説では入れるべきということ。自分はいれなくてよいと考える。
教師の行うこと、決められたことをまず行うことではないのか?
<- 自分はそう考える。
教師の思想、信条「のみ」を教えるのが正しい教師か?
<-- 自分は違うと思う。
思想、信条の自由が認められているのは承知していますが、起立しない生徒が多々いるということはなぜか?教師が偏った、教師の思想、信条を生徒に押しつけていないのか、その点はどうなのか。前回も書きましたが、教師の偏ったことを生徒に押しつけるのはいかがか。どのような教育を行うのかは国民が決めるのであって、一部の教職員ではない。
決められたことを行えない、暴れる、このような人間は、教師ではありません。このような間違った自由を教え続けた結果が今の日本です。やらなければならないことをせずに、好き勝手なことをいうのはいかがなものでしょうか。
読売新聞の4/4編集手帳の「「理屈と膏薬(こうやく)はどこにでもつく」というが、つかない理屈もある。国旗、国歌をめぐり、教師の公務と生徒や保護者の内心の自由を、意図的に混同した論議がそれだ...」を読まれよ。